大きな文学のジャンルの一つであるエッセイ。エッセイというジャンルだと認識していなくても読んでいる人は多い。小説はわかりやすい。フィクションをもとに筆者が物語をどんどん作っていくものだからだ。それに比べてエッセイは空想というベースではなく、著者自身の得ている知識や経験してきた実体験をベースとしている。それらのベースをもとに思索を進め、一つの文章としてまとめていくのだ。印象の違いは同じエッセイというジャンルでも現れる。例えば日本のエッセイは軽い日記風のものが中心で、江戸時代中期に多く見られた日記風随筆がもとになっていると言われている。そのため、今でも書かれているエッセイ、本屋におかれているエッセイというと読みやすいものが多いのではないだろうか。では海外のエッセイを見てみよう。実は日本とは同じエッセイでも内容の雰囲気が異なっている。日本が日記的というものであるのに対して、海外のものは哲学的な内容を扱っている場合が多い。同じエッセイなのに日本と海外で大きく表現が違うのはおもしろい。エッセイはカタカナなので、もとが日本語ではないことはわかるだろう。実は海外エッセイが重い内容であるのはエッセイの語源を見てみるのが一番早い。元はフランス語で試すと言う意味のエセーだ。エセーがエッセイというジャンルになったのはフランスの哲学者ミシェル・ド・モンテーニュが出版した書籍「エセー」が用いた方法がエッセイの元になっているからだ。モンテーニュの知識や経験、観察を元にして、当時の宗教戦争の中を生きる人間を深く探求した作品になっている。著者の経験をベースにし、思索を深く行った作品のつくり方が当時は確立されておらず、エセーの完成度の高さからエッセイが生まれたと言っていいだろう。エセーは後の世にも読み続けられパスカルやデカルトといった歴史に名を残す哲学者にも影響を与えた本だ。エッセイが文学として認められたのは小説などより後と言えるかもしれないが、今では小説と肩を並べる人気ジャンルになっている。
↧